【郷土史家 八木均】

上杉景勝の足跡を伝える桜


 

 三日市町中央通りの中心部、「市姫社」と「辻アミティビル」の境界地の後ろ(字名を桜伎と呼ぶ)に、かつて「景勝桜」と呼ぶ桜の大樹があった。樹齢約800年と推定され、樹木高さ約22 m。樹木周囲は約4.3mのみごとな桜、「エドヒガン」であった。
 昭和30年7月、黒部市文化財天然記念物に指定された。この桜も昭和40年頃までは花が咲いていたが同49年頃、老木であると共に地下水の水位 がさがり枯れてしまった。
 景勝桜の由来は戦国時代の天正10年(1582)に至る。この頃の魚津城は上杉の武将が守っていたが、織田信長の家臣・柴田勝家、前田利家、佐々成政らが魚津城を攻撃した。越後国春日山にいた上杉景勝はこの報を聞くや、黒部川を渡り天神山(魚津)へ向かう途中に三日市の麻地屋新左衛門の家に宿陣し、おりしも邸内の爛漫と咲きほこる桜の大樹に軍馬のたづなを繋ぎ、その風情を眺め景勝は嘆賞し、意気高らかに布施川を渡り天神山に向かったと言われている。
 乱世の戦国時代に生きた武将、上杉景勝の足跡を今に伝えるロマンあふれる景勝桜である。