エッセイ私と桜
 

花見の季節に思う

 

三日市振興会長

澤田 邦男

幼少の頃の思い出と共に、日本人が桜に魅せられるわけを語っていただきました。

   「私と桜」のかかわりと言われても、それほど印象深いものが思い当たらない。

 ただ幼少のころ神通川の川べりにあった磯部の桜並木の近くに住んでいたので、朝早く父に連れられて桜のトンネルを散歩した、かすかな思い出が残っている。

 何しろまだ就学前のことであり、父の手にぶら下がって甘えた様子が今でも花見の季節になると淡い思い出として蘇ってくる。

 それにしても、私たち日本人はどうしてこうも桜に魅せられるのだろうか。 いつも花見の季節になると不思議に思うことである。

 欧米人はどちらかと言えば薔薇やチューリップなど、単体の花を愛する傾向がみられるが日本人は桜の花のように一つ一つの花の美しさよりも、むしろ「集合の美」に心がひかれるという特徴をもっているような気がする。

 その根底には多分、農耕民族として古くから個よりも集団を重んじてきた民族性がひそんでいるのではないだろうか。

 しかも、狩猟民族と違って古くから稲作を中心としてきた日本人は桜の開花日から田植えの時期を決めたり、花の散り具合からその年の米の出来具合を占ったりして生活そのものに役立ててきたという記録が残っている。

 このように桜は日本人にとって古くから農耕生活の一部として共生してきたともいえる。

しかも、いつの時代からかはっきりしないが桜を神様の宿る木として崇められるようになり、満開の桜の下で神様にお酒を捧げてその年の豊作を祈ったとも言い伝えられている。

“さまざまの こと思い出す 桜かな”と、松尾芭蕉が一遍の句に人々の心情を表現したように、人それぞれの思い出が桜を媒介として蘇ってくる不思議な魅力こそ日本人の象徴的な文化ではなかろうか。

 いずれにしても、長かった冬ごもりから躍動的な春を象徴する桜の花は日本人にとって明るい希望と勇気をもたらす心のふるさとであると思う。

 

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