エッセイ私と桜
 

追憶 桜花

 

ホテル渓仙支配人

福島  稔

 長年にわたり教員生活を送られた福島さん。桜には特別な思い入れがあります。

 昭和22年の4月のはじめ、私が7歳のころでした。旧関東州(現在の中国遼東半島)から父母・弟2人と引き揚げ、地鉄東三日市駅に降りたときです。旧天神社(今の市民会館)の池の端に、ほぼ満開に近い1本のソメイヨシノの木がありました。「あれが日本の桜です」。母に言われ、一家5人で、しばし眺めていました。
 私にとって生まれて初めての桜花でした。童謡や軍歌の詞にはよく出てきて、概念的には知っていましたが、旧関東州には、桜が生育していなかったので、実物を見た印象は強烈でした。今でも桜を見ると、日本に帰ってきて安堵したあのときの気持ちとともに、そのときの情景がよみがえってくることがあります。
 数日後、転入手続きなどで、三日市小学校へ行きました。木造校舎の児童玄関から二宮金次郎像の間に桜並木があり、満開の桜の花が風に吹かれて、少し落ちてきました。ボケっとして下から見とれていました。これが、私の幼い日の桜の花の思い出です。
 その後、長年の教員生活を過ごした後、「明日の富山県を創る協議会」の事務局に勤務していたころのことです。黒部まちづくり協議会のサクラワークショップの活動が「富山県ふるさとづくり賞」の最優秀賞を受賞し、その表彰式に私も担当者として出席していました。
 堀内康男代表がスタッフとおそろいの桜色のブレザーを着用し、スライドを使って熱っぽく活動報告を県内の関係者にしている姿がとても印象的でした。「それぞれの小学校卒業記念に桜を植え、中学生になって「14歳の挑戦」で再び手入れする」との趣旨のフレーズがありました。中学生の「地域に学ぶ14歳の挑戦」の推進に携わった者として、とてもうれしく思いました。

 


 

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