連載コラム
富山と北陸のサクラを巡る
富山県中央植物園で勤務する大原隆明さん。サクラの品種分類の研究を続け新種の発見をしたこともあるサクラ分類の第一人者。日本の野生種が全てそろっているという富山県を舞台に日夜研究に汗を流しています。このコーナーでは、そんな大原さんに県内のサクラを紹介していただきます。


第4回クロベを巡る冒険(1)
2005年11月
 

 ノラ・ジョーンズの曲をBGMに流しながら、新雪の輝く北アルプスの方角へ向かって車を走らせてきました。折しも、昨日(11月4日)は冷たい雨が上がったばかりの小春日和。色付いた落葉樹林を照らす晩秋の淡い光はどこまでも透明で、彼女の甘くスモーキーな歌声に軽く酔うにはもってこいの1日でした。そして着いた目的地は立山町吉峰にある富山県林業試験場。ここは私の職場である富山県中央植物園と同様、県内では多くの種類のサクラを見ることができる「生きたサクラ図鑑」のような場所なのです。車を降りても耳の奥に残る甘い声に口笛で同調しながら、湿った落ち葉を踏む感触を楽しみながら急な土道を上がっていくと、そこに今回ここへ来た目的の大小2本の紅葉した「黒部山桜」が待っていました。

 黒部市のサクラ好きの方でも「えっ?黒部の名前がついたサクラがあるの?」と驚く方が多いかも知れませんね。それもそのはず、この「黒部山桜」というサクラは図鑑類にも名前が出ていませんし、インターネットで検索してもほとんど情報が得られません。この「クロベ」の名前がついたサクラが植えられているのは私が知る限り、ここ富山県林業試験場だけ、という「謎のサクラ」なのです。このサクラの存在を知ったのは今春の花の時期でしたが、その頃はやや大型の淡紅色の花と紅色を強く帯びた若葉から「黒部の山の中にあったオオヤマザクラのちょっと変わった程度のものかな」程度にしか気に留めていませんでした。しかし、こうやって黒部市のサクラワークショップとのご縁ができたからには、「黒部」の名がある以上、少なくとも分類学的にはどのようなものなのかは明らかにしなくては…という訳で、完全に落葉して葉の情報が分からなくならないうちに、この木に会いに行った次第なのです。

 平日ということもあるのでしょうが、除草作業をしているおばちゃんを除くとサクラ樹林内を歩いているのは自分だけ。春には賑わうこの場所も静かなものです。「こんな時期に何をしに来たのだろう?」という、おばちゃんたちの不審な眼差しを受けているような気がしたのは自意識過剰かもしれませんが、それでもサクラの種類を見分けるのに花のない時期に見るのは意味があるのかと訝しく思われる方もあるかもしれませんね。ところが、実際にはよく分からないサクラの種類を見分けるには、葉の情報は花の情報と同等、場合にはよってはそれ以上に大事で、その調査は欠かせないことなのです。では、何をどのように調査方法するのか?について、以下に克明に実例を追いながらご紹介します。

 現場に到着次第、早速、上側の斜面から大きい方の木を撮影しました(写真)。下部で2本に分かれた幹からなる6mほどのなかなか立派な木です。サクラの種類という場合には、約10種の野生種やその変種、品種のように遺伝的に純粋なものの場合と、それらの交配によって生じた雑種の場合の2通りが考えられますが、野生種のうち、マメザクラ、チョウジザクラの2種は幹が根元で複数本に別れる、斜めに立ち上がる、せいぜい2m程度の低木であるなどの特徴的な樹形を示します。しかし、この木はしっかり立ち上がる高木ですし、幹も2本にしか分かれていないのでこの2種ではなく、また、その血を引いた雑種である可能性も低いだろうと推理されました。これで、黒部市に多い野生種のオクチョウジザクラ(チョウジザクラの変種)の関与した可能性はかなり低いと見当がついた訳です。

 次に木に近寄って、紅葉した葉の写真を撮影し、その葉に実際に手に触れて顔を近付け…ときたところで今回は文字数が尽きました。捜査の様子は次号に続きます。乞う御期待!

 

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