エッセイ私と桜
 

道草ついでのお花見

 

黒部まちづくり協議会理事

松野 健作

黒部まちづくり協議会のNPO法人化を機に、常勤の理事として選任されたYKK OBの松野さん。「いろんな行事に積極的に参加しようと心がけています」とのことです。
御影石の塀の内にある桜の老木(生地宮川町)
満州で材木商として活躍された鷹田政一郎大人の石碑

 小学校へ入学して数日後のことだった。自宅から小学校までの道程は1キロに満たない。子供の足で10分程である。大通りに出て右・左とクランクすればすぐに銀行・・・。源兵衛さの橋・・・。専念寺の石垣・・・。新治神社・・・。そして右に折れると小学校の校門が見える。
 
その途中の左手に、生地には珍しく御影石で塀をめぐらした古風な邸宅がある。塀の中は立派な庭園になっており、奥のほうには満州で材木商として活躍された鷹田政一郎大人を称えた大きな記念碑が石組みで建てられている。
 通い始めてまだ慣れない通学路を近所の同級生と道草しながら学校へ向かっていた時のことである。「よそ見せんと はいなといかっしゃい(速く行きなさい)」と固とう全とう(固く)言いつけられていたことと思うが、このような注意は忘れてしまっていたのだろう。そして授業の開始時間のことなどはよく分からなかったのであろう。
 春ののどかなお天気とその屋敷や庭のたたずまいに誘われ、塀の中を覗いてみたいという幼年期に共通する冒険心が起きてしまった。何の躊躇もなく道連れの同級生とともにその門扉を押してそっと入った。家人は誰もいないようであった。また、いたとしてもこの新米ガキ坊主達は何も悪いことはしないだろうと寛大な心で見ていてくれたのであろう。われわれは嬉々として庭のあちこちを探検してまわった。
 そうこうするうちにお腹が空いてきた。誰かが「弁当を食べよう」と言い出した。誰も反対はしなかった。早朝のお昼弁当、いやお花見弁当となった。庭では大きな桜の木が今を盛りと満開であった。われわれはこの満開の桜の花の下で戦後の貧しい弁当ではあったが賑々しくたいらげた。
 満たされたお腹を抱え、空になった弁当箱を国防色の肩掛けかばんに納めて遅ればせながら学校に向かった。しかしそのあとのことは良く覚えていない。
 きっと担任の篠崎先生は心配されたことだろう・・・?
 電話もない時代、連絡はどうされたのであろう・・・?
 お昼になったときは空の弁当箱を前にどうしていたのであろう・・・?
 これが生まれてはじめてのピンク色の幼い花見であった。いつまでも鮮やかに覚えている。そしてその石垣も、その庭も、その邸宅も3世代に亘って今も私達を見守ってくれている。

 
過日、黒部まちづくり協議会のサクラワークショップのみなさんと新川育成牧場に植樹された若木に添え木などをあてる作業を手伝った。これらの桜がやがて世代が代わっても人々に良い思い出を沢山授けてくれるようにと夢見ている。

 

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