エッセイ私と桜
 

老人の一言

 

画家

戸出喜信

戸出さんの意欲作。「心の目」で見た桜が描かれています。

宇奈月出身、フランス在住の戸出さん。日仏で精力的に活躍しておられます。

 33年前、武蔵野美術大学を卒業と同時にフランスに渡りました。
 絵描きになることに漠然とした夢を抱いての出発でした。下宿近くの小金井公園の桜が満開で、不安と希望が交差する中、やけに感傷的な思いで桜を眺めた記憶があります。さらば!と日本を離れた青春時代の真只中でした。
 
桜を描いてみたい。そう漠然と思うようになった一昨年、桜の取材のために帰国し、九州から東北まで桜前線を追いかけながら旅をしました。しかし、桜の名所は、どこへ行っても人の多さだけが目について、肝心の桜のイメージがかき消されるばかりです。想像とは全く違う現実をみる思いでした。
 八十年輩の老人が、咲き誇る巨木を見上げながら「今年も又、会えましたよ。」と、そう言って声をかけてきました。
 潔く散る桜も、来年になれば又桜は咲く、生きてさえいれば又会える。そうか、桜って、この老人のように生きていることの証のような、そんな花でもあるんだ。再び会えたことの喜びを噛み締めるかのように声をかけてくれたこの老人の一言が、閉ざしていた心の眼を開かせてくれました。
 見渡す限りの満開の淡いピンク色が生き生きとよみがえり、今までとはまったく違った、まるで別ものの桜を見た思いでした。春の訪れを謳歌するかのように今を盛りと咲き競う、桜の命そのものでした。その色彩は、艶やかに無限な可能性を秘めていて、瑞々しく我が心にまで届いたような気がしました。
 桜を描く決心は、この時から始まりました。小金井公園で眺めた桜から、31年ぶりの桜でした。


 

 

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