エッセイ私と桜
 


シンボル桜に花が咲いた

 
 「いつか桜の下で」著者 宮田京子
 
 


毎年春にはシンボル桜を見にこようと心に決めている宮田さん。このシダレザクラが宮田さんの支局時代の思い出であり、原点でもあるのでしょう。

「シンボル桜が、なかなかいい感じで咲いてますよ」
 今年4月のある晴れた日、サクラワークショップから連絡をもらい、黒部へ車を走らせた。そこには、大地にしっかりと根をはり、濃いピンク色の花をつけたシダレザクラの姿があった。太陽の光をたくさん浴び、生命力が満ちあふれたその様子に、私は胸がいっぱいになった。
 サクラワークショップが最初に桜を植えた6年前。私は地元紙の支局長として黒部を担当していた。記者としてある程度の経験は積んでいたものの、支局長として全てを1人でカバーするという経験は初めて。若さと情熱だけを頼りに、無我夢中の日々が続いていた。
 「黒部市内を桜でいっぱいにしよう」という計画を聞いたのは、そんな時だ。最初は必ずしもみんなが乗り気ではなかったように思う。「植えるのはいいけど世話が大変」「いつまで続くやら」という声も少なからず聞いた。だが、ある意味大それた計画に、大真面目にしかも必死で取り組む姿は、当時とにかく懸命にやることしかできなかった私を、随分勇気付けてくれたものだ。少し幹が曲がりおせじにもスマートとは言えないシンボル桜には、妙に親近感を覚えてしまい、せめてもうしばらくは枯れずにがんばってほしいと、祈るような気持ちで成長を見守っていた。
 その後、私は、サクラワークショップをはじめとした黒部まちづくり協議会の動きを一冊の本にまとめる機会に恵まれ、ほどなくして支局を離れた。あれから3年になるが、その間、黒部ではいろいろな「花」が咲いたように思う。釣りバカ日誌の撮影が実現し、フル規格での新幹線も決まった。いずれも黒部まちづくり協議会のメンバーが中心となってかかわっている。
 私は毎年、春にはこのシンボル桜を見に来ることにしようと心に決めている。あのときの懸命な気持ちを忘れないために。そして「この桜に負けないよう、自分の花を咲かせよう」と気合いを入れるために。


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