「桜の居場所」

 
富山県土木部 新幹線・都市整備担当参事  埴生 雅章
 
 


農学、緑地博士でもある埴生さん。「桜の木を大事にすることは、桜が植わっている場所を大切にすることでもある」とまちづくり的視点から指摘しておられます。

 桜の木を大事にするには、桜の木そのものを大切にすることと、その木が植わっている場所を大切にすること、この二つがあると思う。桜が病気や老衰になれば、花見客はよそへ行ってしまう。元気な桜にも道路の拡幅、建物の増築など色々な災難がふりかかるのが現代。十分に枝を伸ばせる空間がなく窮屈な場所に閉じ込められることも多い。一番贅沢なのは広い敷地にただ1本の桜の木があるという場合だろう。まちづくりの立場からは、桜の木が安堵して生きられる居場所が必要だ。
 さて、話は江戸時代。高岡城の外れに、桜馬場という空間があった。1609年(慶長14)前田利長(利家の子)が藩士の武術鍛錬のため馬場をつくり、その両側に土手を築いて桜を植えたところからこの名がついた。1955年(昭和30)自動車の激増により樹勢が衰えた彼岸ざくらを古城公園に移植したとある。近代化の過程で350年も続いた由緒ある桜の居場所を失ったわけである。近年までそのなごりがあったが、今は都市計画道路桜馬場長慶寺線にその名をとどめるのみである。
 一方、富山市にも城下の外れ、今の清水町のあたりに1585年〈天正13)佐々成政が設けた桜馬場があったという。馬場のまわりが土手で囲まれ、その上に境界代りに桜が植えられていた。こちらは、地名すら残っていないようだが、館出町にある越中稲荷神社の境内に、かつて桜馬場に植わっていた薄墨桜の石碑があるとのことである。
 江戸時代には桜の花が咲く永続的な空間として、桜馬場と称する場所が全国には相当あったものと考えられる。それは文化としての緑の空間だった。私たちも桜が安心して生きられる居場所づくりを、都市における文化の創造として進めたいものである。