「母の髪を飾った花かんざし」

 
富山大学客員教授 日俣 順子
 

戦後、幼いころの日俣さんの目に焼きついている桜の風景があります。

 小川のほとりに桜の花がこぼれるように咲いていました。
 あれは、戦争が終わった昭和21年の春だったように思います。当時、私は養母である母と二人、田舎に疎開していました。 
 母は、父の戦死の公報が入って抜け殻のようになっていました。 6歳の女の子だった私は、そんな母とどうかかわっていいかとまどうばかりでした。
 その日は、村あげての何か大きなお祭りが行われていました。近くの小学校に着飾った人々が、暗い戦争の抑圧から解放されたかのように浮かれて集っていました。からからという下駄の音が響き、卑猥な言葉が飛び交い、笑い声がはじけていました。
 どの家にも復員してくる父親を囲む笑い声があり、祭りに浮かれる笑顔があります。
 母は、そんな喧噪から逃れるように幼い私の手を引いて、村のはずれのこの桜の木の下までたどり着いたのでした。もしかしたら、母は、私と共に死のうとしているのでないかしら。幼い私にそんな恐怖がよぎりました。
 そのとき見上げたたわわな桜。その淡いピンクが今も目に浮かびます。あまりに豊かな桜の花房はこのときの二人の親子の置かれた状況とは別世界のものでした。
 「この花、お母さんのかんざしだよ。」私は、下にまでこぼれて咲いている枝を一枝折って母に差し出しました。ひっつめ髪にその花かんざしを挿して母は、別人のように明るく笑い、私を痛いほど抱きしめました。幼い少女のとっさの機転が重苦しい空気を救ったのでした。
 あれから、50数年経ちました。母は、あの桜の木のあった小川の上流の墓地に眠っています。
 桜の季節になると、胸の締め付けられるような哀しみと共に当時のことを思い出します。あの淡々とした桜は今どんな人の哀しみを救っているでしょうか。