2002年1月1日

 

「染井吉野の老樹に想うこと」

元富山大教授 長井真隆
 

富山大学黒田講堂前の老樹ソメイヨシノと筆者

 富山大学の正門を入ると、右手に白く化粧した黒田講堂があり、左手に明るい芝生広場が広がっている。この芝生広場に、樹皮が荒れた黒褐色の染井吉野の老樹が1株ある。
 この染井吉野は、キャンパスが富山第35連隊であったころに植えられたものらしく、開学当時の昭和24年のころは、幹回りが一抱えほどの元気な樹であった。4月には華やかな色に染まった。当時、学生であった私は、南に帳出した枝に登って写真を撮ってもらった記憶がある。それから40年が経過した平成元年に、母校の教育学部に赴任したときも、見事な花を見せてくれた。だが、翌年からは樹勢が急速に衰え、数個に分かれている幹の上部が枯れ、花の色もさえず、ついに老いた巨幹をさらすようになった。
 染井吉野は、江戸末期のころ、江戸染井村の植木屋が売り出したとされる歴史の浅い桜である。この桜は成長が早く、花数が多いので根強い人気がある。しかし反面、寿命は人の寿命に等しく、江戸彼岸などと比較すると実に短命である。わが国では、桜は神話、歌や文学などで親しまれ、古くから日本人の美意識の座を占めてきた。一斉に開花して一斉に散る、その散り際の鮮やかさから「花は桜木、人は武士」と讃えられ、日本人の心情と深く結びついてきたのである。しかし、実際は花が散っても木は生きている。日本人の桜に寄せる美意識の根底には、花は惜しみなく散るが、来春には再び華やかに開花することへの無意識の甘えがあるのではなかろうか。
 キャンパスの染井吉野の老樹には、今やこうした甘えの余地がない。昭和一桁生まれの私はこの桜と同年輩だ。この桜を見るにつけ、時は金ではなく命だと実感するのである。

 

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